旗本領とは

旗本領とは?と言う前にまず【知行(ちぎょう)】とは近世・中世(平安時代から江戸時代を中世と言う説もあるようである) にかけて使われていた言葉で、一般的な概念として大名の配下(武将・武士)に与えられた所領支配権であり、その「土地」のことです。

知行のため給付された土地を知行地と言い、江戸時代に旗本に与えられた土地が旗本知行地です。旗本知行地は<知行所>と呼ばれました。この知行所は時代劇の映画やテレビドラマを観てると普通によく使われているので耳にしている用語だと思います。そして<旗本領>とはこの<知行地>のことであります。
この旗本領(知行所)の管理、運営、取立ては、その近辺の代官や郡代などではなく、その土地に信用のおける者を指名し、その者に管理をさせました。 この信用の置ける者は、「名主」または「庄屋(関西方面の呼び方)」などと呼ばれる人たちで、金銭的に裕福だけではなく、村民からの人望も厚くなければなりませんでした。 主な仕事は、監督範囲の土地の管理・・・例えば、治水権などの争いの仲裁、家長を失った女手だけの田畑への「助っ人」の割り振り、夫婦喧嘩の仲裁、年貢の取立て・・・などなど、かなりの采配権を与えられており、代官などと、ほぼ同じ位の権限を有していました。………………………………………………………………………………
これら<旗本領>といわれる<知行地>が金山周辺の多くの村々にも存在していたのであります。

旗本とは、室町時代の15~16世紀末にかけての戦乱の頻発激しき世であった戦国時代といわれる頃に、戦場で主君の軍旗を守る武士団を旗本と意味するそうです。この戦乱の世において、主君からすれば直属の旗本家臣団への信頼は極めて強く、戦国時代の家臣団の中枢を担うのは、この旗本家臣層にあったといっても良いのではないかといわれております。

旗本とは江戸時代の三河から勃興した徳川氏の家臣が代表的である。一般的には旗本と言えばこの徳川将軍家直属の家臣層を指しています。
江戸時代には,将軍の直属家臣である大名・旗本・御家人のうち,旗本は知行高1万石以下で将軍に謁見できる御目見(おめみえ)以上の格式の者を称した。旗本と御目見以下の家臣である御家人(江戸幕府の幕引き役となり重責を担い歴史上に輝かしい名を残してる勝海舟も御家人)とを総称して直参(じきさん)または幕臣といった。ただし,同じく1万石以下200石以上の直臣ではあるが,名家の子孫で幕府の儀礼をつかさどる高家(こうけ・忠臣蔵で馴染み深い吉良上野介も高家です)と参勤交代の義務をもつ交代寄合は別格であり,老中支配に属していました。

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