毛里田村が太田市に合併した昭和38年は16歳の高校一年であり、この年の11月頃に三田明が「美しい十代」でデビュー。大ヒットしたこの歌「美しい十代」は、この歳になった今もこの歌を耳にすると、少年の頃の清々しい感情がまだまだしっかりと凝縮して溶け込んでいるかのように呼び起こされて、一気に少年の日がやって来る大好きな歌である。聞くたびに遠くに過ぎ去って行く青春の日々は夢か幻だったのかといった気分になったりしながらも、五厘刈りの坊主頭で純朴を繕ってたあの頃の時間の中へ潜りたくなり、望郷心が溶けてるかのような郷愁を湧き立てられる「美しい十代」だが、その「美しい十代」以上になぜかこの「友よ歌おう」は当時発売時から大好きな歌である。高校のクラスの仲間たちへの思いに、「皆んな元気にしてるんかよー」と、なつかしさ、せつなさ、などなど一杯のいろいろな感慨がゴチャゴチャ入り乱れ、あの坊主頭の頃の毎日毎日流れていた時間や、勉強は嫌いでしなかった、しなかったからできなかった、そんなあの頃の心に無性に戻りたい心のざわめきに引っ張られて、駆り立てられて、今も超大好きな歌である。
三田明の三作目の作品で1964年3月(1964年は昭和39年で東京オリンピックの年)の発売であり、
俺が16歳のこの頃に長く親しみ、住所が変更になるなど考えてもみなかった年頃、愛着一杯の毛里田村が無くなったのがこれらの歌を耳にしていたこの頃である。