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お鎮守さま(鹿島宮)より金山山頂を望む。

曹源寺さざえ堂

太田市の数あるお寺の中でも知名度の高いお寺であると思ってる。
俺はこのさざえ堂の言い方として、お寺、曹源寺、さざえ堂と三通りをその場その場の会話に3通りを入り交えて普通に使っちゃうことがよくよくあるけど、アレまずかったかなと話中に振り返ることもない。結局は同じ場所を指してるので話す側も聞く側も瞬時に理解しちゃって互いに何ら不自然さも無く迷いはないのである。自然と三通り交じりながらの言い方で話しているのが大体である。

お寺で遊んだ記憶は余りない。自分ん家からはお寺まではかなり遠い印象をもっていたのでそれも要因の一つだったかも知れない。遊び場としては神社と比べたらはるかに少ない。神社は家から近いし木も坂も山もあったりでそれらは重要な遊び道具になったのでどうしても神社や山に遊び心は向かうのだった。
但しジャンボン(葬式)の時は俺もそうだったけど、皆子供連中は大体お金(振り銭)を拾いたいが為にお寺は絶対的な究極のスポットと化すひと時だった。葬列が到着する前には誰となく絶対に時間厳守で待機中となる。今か今かと亡くなられた方や遺族の悲しみを想い察することもなく、我々子供等の心はお金(振り銭)を少しでも多く拾ろうぞと逸(はや)る心で境内での3周する葬列を待ち望んでいるばかりであった。
俺にとって競争で拾うお金は20円にもなればたいしたもんで大概は10円か15円が多く、たまには20円前後拾えたことがあったような記憶はしているが、30円になったことはなっかった。 帰りに飴や菓子など食べるものを一個づつとかバラで買ってその金はすぐなくなるのであった。

お寺の一番最初の記憶のスタートは小学校1年の時に見た遠藤(?)一座だったかその芝居からで、その前の年齢までのお寺に?がる思い出は浮かんでくるものがないが、たまにはお寺へ行ったり遊んだりはあったんだろうけど記憶の中には皆無に等しい。
その日の芝居内容は分からないが、記憶の中にある芝居小屋舞台の役者の動作と舞台の小道具セット等が思い浮かぶ。お寺で観た芝居の日の観客(殆ど今泉の人だったんだろうと思う)の寄せ集まる境内のざわめき伴うワクワク感は小学校一年の俺もなんか気分の良い感触に包まれていた。今このホームページにお寺の思い出を掲載しようと筆を執っていると60年前は遠い現実かつ瞼の中、と思うむなしさと、60年前が今ここに来てくれてる 嬉しさとが入り交じるのだが、それは程良く快い郷愁となって60年前が脳裏に軽やかに一直線に飛来してくれているのである。

このさざえ堂の観音様を初めて見たのはこの芝居があった時だった。親父が堂内に連れて行ってくれて一緒に観ながら歩いてくれたことが懐かしい。子ども心の印象だが、芝居があるのでお寺も大勢の人で賑わってて、その当時は無かった表現方法を今風に言えば盛り上がってるというやつで、大仏のように大きく見える大人たちに交じって時には話をかけてもらえる時もあり、ゆるやかに流れる憩いの時間の中に居 るようで、雑踏するその光景の風情に子どもの俺の心には、空気も何となくどんよりとしているようで子供なりに実にいい開放感の気分を味わってたんだろうなと思えてくるのである 。今この歳になって7歳のその時の気分は今までには体感したことの ない不思議な感動・感覚でいたんだろう。
この日の主役である芝居が大人も子供もみんな楽しさの一体化を作り出してくれてて、大人たちが俺なんかみたいな小学校一年生でも大事に親切に一所懸命にかまってくれた一つ一つに何となくまろやかで柔らかいゆとりがあるみたいな雰囲気が溢れてて、お寺で過ごしたその時間の中は、老若男女の笑顔で溢れかえる銭湯に入浴させてもらってたようでもあり子供心に本当に幸せを感じていたひと時であった。隣り近所を殆どの遊び場としていた頃だったので、当時の6~7歳の感覚ではお寺は家からはとても遠方感覚になる辺りだっただけに、それほどに遠い所に居ると言うことを 、今言うと後付けのようになるのだが、狭い範囲の隣り近所から広くてでっかい東今泉にデビューしたような感覚も味わい、盛り上がるひと時を感じたお寺での芝居のこの日の思い出が今もしっかりと胸に浸かっているのである。

老若男女が寄り集まる芝居のあの日の雑踏の姿や動きが動画のようになって思い出される。そんな日に父と歩きながら 見た堂内の観音様と螺旋的に上る堂内の薄暗さが脳裏に今もしっかり貼りついている。まだこの世に生まれて7年ぐらいの60年前頃。それがいつの間にやらここ曹源寺に永久移民もそう 遠くもないところに来てしまっている。これから60年後は確実に永久居住者となってこの寺にしっかり永久移民永住者となり曹源寺の地から1ミリとて外出することなく永遠の俺の居住地となるのだろうか。
この地に永住するとしてもその前に叶わぬ夢とは知りつつも、愚かな夢と知りつつも、タイムスリップして60年前の7歳に戻り、親父に連れられ観音様見たあの日あの時をもう一度体現してから自分の永久地に。 更に願わくば、永久移民する前に父、母、祖父母、姉二人、兄、俺の8人で暮らしていたその日を一晩でも良いからタイムスリップして再現体現したいものだ。いや体現させて欲しい。 その日は姉二人がたまに作ってくれた「くろんぼカレー」を姉二人が作ってくれて家族8人食べる設定に決めている。そしてこの日は昭和32年の10月の終わり頃の土曜日の夕方にタイムスリップすると決めてある。記憶に沁みてる本当に旨くて旨くて旨かった「くろんぼカレー」。そんな戻りたい帰りたい懐かしい時を一晩でも半日でも数分でもタイムスリップし過ごしたいものだ。叶わぬ夢とは分かりつつも、それでももしかしたらと思う心は本音である。


群馬県県指定重要文化財 祥寿山曹源寺さざえ堂(しょうじゅさんそうげんじさざえどう)

当寺(曹源寺)は新田家の始祖である新田義重公により文治3年(1187)開祖され、京都からの養姫である祥寿姫の菩提を弔うために建立された六角堂が起源とされ、火災により曹源寺の本堂は1853年に消失してしまい、仏殿であった「さざえ堂」のみ現存し、これを本堂とし、820有余年を誇る寺院であります。
この「さざえ堂」は寛政5年(1793)に関東の大工の祖といわれた、町田兵部栄清により13年の歳月をかけ建てられたお堂は、間口、奥行きともに16.3メートル、高さ16.8メートル、外見は2階建てに見えるが内は3階建てで、堂内は回廊式といい同じところを2度通らずに元のところに戻るという、我が国の木造仏堂建築史上まれにみる建物として昭和52年9月(1977年)群馬県指定重要文化財に指定されております。

▲曹源寺「さざえ堂」修理趣意書より転載

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