★自分で勝手に「東今泉のスポット」としてるこれらには自分だけの感性みたいなものが潜んでいるだけに綺麗な文体・文言の分かり易い文章で書きたいのに、かえってそれが障害となりどうやって書けばよいの言葉が浮かんで来ない、たとえ浮かんで来たとしても纏められない、どうしても書けない、思いつかない、よって自分だけしか理解できないような支離滅裂な文章になってしまうのである。
さて、勝手に「スポット」としてるここに佇(たたず)んでると体内を駆け巡る血流はいつしか心癒す穏やかな血流となって、煩悩諸事交錯する乱れし胸中には、安堵な心持ちへと向けられる囁きが呼び込まれ、懐かしい想いでの数々の日々をすぐそこに、すぐここにと思い出の現象がランダムに浮遊してくるのである。
時には今更のこの歳になっていても夢も希望なども伴い優しく連れて来てくれるのである、この「私の勝手なスポット」たちが。
森羅万象の空間を心軽やかに飛び回る気分にしてくれるほどのこれらの地点は、自分にとって「スポット」にしたくなるのであります。この地点とは「勝手に私のスポット」としたそれぞれの場所の8箇所ことである。
スポットというと一般的には「観光スポット」の語句のタイトル文字や見出し文字から、さりげなく商売売り上げへと繋げようとする誘導広告タイトルみたいなものも良くあり、「素直じゃ無いぜ」と感じてしまう場合もありがちだが、オレなりの"東今泉のスポット"にはそのような誘導発想は微塵もないのであります。
『勝手な独断と偏見で「東今泉スポット地点」にしている羅列要素は』、支離滅裂で自分だけが分かるような抽象的表現になっちゃうのだが、
それは、東今泉らしい匂いと香りが混ざり合い、それらの香りは、脳裏に流れてくる懐かしく心うるむ童謡・唱歌のメロディーに浸潤し、懐かしい子供の頃の東今泉の純朴な香り織り成す素朴な感触を帯びて浮かび上がる静謐(せいひつ)な日常風景の中のあの景色この景色がモノクロ色とセピア色とが合体したような色模様を伴って浮かび出されて来るそれらイメージのひとコマ1コマの懐かしさの風景と時間を「私の勝手なのスポット」たちがしっかりと包んでいるかのように、過ぎ去りし日々の数々の思い出が堆積蓄積されてるのである。風前の灯火にも値する僅かに残る夢・希望を消し去らんとなるものかとする心に「自分なりの"私のスポット"」たちが支柱を構成してくれてるかのようにと眺むれば、心沸き立たつ高まる心情にもしてくれてるこれらの「勝手に私のスポット」<地点(スポット)>には、オレにとっては郷愁へ?がるふるさとの香りと今泉に生まれ育った偶然の縁の有難さは、感慨染め拡がる気分躍る心へと?がるゆえに「東今泉の俺だけで思う勝手にスポット」と成したくなる要素がいっぱいに埋蔵されているのである。
★上記文言は自分以外には理解し難い正に支離滅裂な文章であり、何を言っているか分からないと思えるが、勝手にスポットと位置付けをしたくなる俺だけの感性みたいな、俺だけの感受性みたいな思いは自分だけが分かれば良いのでこの支離滅裂の文言しか浮かべられず、よって支離滅裂にしか
書けないのであります。
↓ ←私なりのスポット。赤丸地点にカーソル乗せてクリック。
↑↑▲上記の絵の辺りをクリックで拡大▲↑↑▲拡大表示された画像の左上の×のようなところをクリックしてマウスのツマミを前後すればさらに大きく自由拡大出来ます。▲画像を消すには右上の×をクリックするか、表示してる画像内の適当なところをクリックするか、又は画像枠の外でブラウザ画面の適当なところをクリック▲↑↑
※↓下の絵は、↑上に掲載した絵手紙風水彩画を写真集をめくるような雰囲気な感じにしてみたくて一応挑戦してみたけど、自分には技術的・知識的にも理解欠落の為、なかなか前へ進まず、立ち往生するばかりの日々で大変難しかったが、やっと何とか最低限の雰囲気に近づけられたかなと。
★ページデザインやレイアウトセンスは全然劣ってるのを自覚しながらも、写真集のページをめくるような雰囲気をちょっとだけ醸し出せたかなと。だからどうしたという事になると、どうでもいい自分だけの自己満足の世界をほんのちょっとだけでも味わえたような気分が出来たと言うことで満足なのである。何の一銭にもならないけど、何とか一応でも出来た時の気分をどうしても味わってみたかったのである。
★インターネットエクスプローラーでは最新のバージョンでないとこのページめくり動作は表示されないようです。やっと制作したのに大変無念・残念である。