暑さ振り払う川水の冷涼感を直接全身で満喫体感できた「堰場(せきば)」の水浴び・水遊びのひと時の情景を回帰する時、その思い出の光景の一つひとつが真夏の入道雲の中に生息している思いになって回帰して来るのです。
モクモクと不気味な激しい夕立を予感させる入道雲も真夏の風物詩と捉えれば優しさを感じ、モクモク沸き上げ広がる雲も極太丸ゴシック書体のようで柔らかなその感じは母の心と思い、噴煙舞い立ち上る様(さま)にも似た大きな雲の形成は、まだまだ生きてやり遂げたかっただろう希望への熱情の息吹で父なんだと思い、入道雲を見るたびにあの懐かしく楽しかった「堰場」の思い出は、入道雲に包まれ保管されてるが如く入道雲と一体化して脳裏に開封されるのである。
懐かしくあの時の「堰場」の水に夢中に遊ぶ楽しさに溶け込んでいた日々が飛来し、あの日に戻りたい・でも戻れない、そんな葛藤混じりながら、懐旧への情の訪れが胸いっぱいに広がる「堰場」で楽しさ一杯の夏の時を過ごした昭和31年ごろから昭和37~38,39年頃を昨日のように思えて来ます。( 昭和38,39年頃になると泳ぎに来る子らはまばらになり以前のような活気溢れる盛り上がる光景は見ることが無くなって来ていたと記憶している。)また昭和20年代初期からも「堰場」を愛した少年少女等は大勢いて、俺たちの頃よりもっともっと勢いがあって今泉中に、はしゃぐ声が響き渡るほどだったんだろうな、と…………………。
小学生時代の夏休みは強い雨が降らなければ少なくても毎日一回は泳ぎというか水遊びに行ったもんです。子供たちの裸の社交場になってるようで実に楽しかった。いつも大勢の子供らで溢れ、泳ぎだけでなく泥んこになったり、魚とりなど兼ねながらキャッキャッみんな仲良く遊んだ「堰場」のあんなにも楽しかった体験が出来た思い出を心に宿せる幸せを「堰場」とそして同時代に泳ぎ遊んだ東今泉の先輩後輩に感謝です。そして今だったら川泳ぎでの事故や怪我など水難事故を心配して親が大騒ぎになるところだろうけど、親に何にも言わずに水遊びに出掛け、親のほうからは何にも言われず、そんな自由みたいな放任みたいな感じが普通だった時代だったけど、きっと親の本音は水浴びから家に帰ってくるまでは心配でたまらなかったんだろうな。でもそんな時代だったからこそ、つべこべ小言何も言われず良い思い出を宿せてもらって親への感謝の思いが年追うごとに増幅するばかりである。
「堰場(せきば)」も移り行く時代のなか、河川の改修等により当時のはしゃぎの坩堝(るつぼ)と化した遊び場の具体的形跡の面影は殆ど消え失せ、この場所に多くの子供たちが寄り集まり、活発で元気な声ではしゃぐ少年少女達の思い出を作ってくれた夏が何度も何度もあったはずなのにと思うと「堰場」を見るたび、通るたびに、水に濡れ、歓声で満ち、 はしゃぐ数々の笑顔の日々は遠い昔日へと一日一日遠のく現実に心淋しさが体をよぎるばかりである。ここ「堰場」は私の永遠の一大スッポットである。