住宅が建ち並ぶこの団地が形成される以前のこの辺りは桑畑を中軸とした畑が斜面一帯に広がってて、実家の畑もこの一帯の一角にあり、桑と 他に薩摩芋なども作ってたりしていた。荷積みの為のリヤカーを畑に到達するには坂道を上(のぼ)らなくてはならないけど、上る時は大体は荷がないのでまだ楽で安心だったが、桑切りした桑束を一杯に積んだりしてのこの坂道を下りる時は、リヤカーの荷台の後ろを坂道の地面に強く押し付けるようにして加速を防ぐためのブレーキ状態をし続けることによってリヤカーの下る坂道速度を極力押さえ、その時には親父はリヤカーの先のハンドルを上に一杯持ち上げながら後ろ向きになって後去りしながらリヤカーの荷台の後ろへの抵抗度を増すようにし続け坂道を下りていました。その荷台の後ろの押さえを俺や兄貴がやったりしていました。よくも親父もあんなにも危険な事をやっていたなと今思うとゾッとなる気持ちになってくる。親父は後ろ向きの後去りで坂道を下りるだけに、ちょっと足がもたついて滑ったりした時にたまたま俺たち後ろの押さえが弱かったりしたとしたら、坂道であるが故にリヤカーの斜面速度一気に高まり、リヤカーに巻き込まれながら坂道を転げ落ち大惨事へと繋がってしまうような事を良く常にやっていたと思うとゾッとしてくるばかりである。俺たちがやらない時は母がやっていたんだろうけどあのデコボコの坂道でのリヤカーでのケガ・事故は無かったけど今思うと惨事が起きなかった運が続いていただけだったような気がするのである。今は団地になっているこの地には大事な大切な思い出が胸に刻み込まれてるのである。
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