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お鎮守さま(鹿島宮)より金山山頂を望む。

山口地区

東今泉の隣組名はどんな名称があるとか考えたこともなく、知りもせず、興味の発想の一片(ひとひら)も浮かべることもない年頃からでも、あの辺りが「山口」というイメージは小さい頃からなぜか分かっていたみたいで山口と言う言い方とかは会話の中で普通に子供なりに喋っていた。ただ隣組の名称というふうには全然考えたこともなかったのである。「山口」の他には「大門」のこの2地区だけはあの辺りだなと、なぜか子供の頃からなんとなく覚えてしまったらしいけど、他の隣組名を認識するのは、ずーと年齢を加算した頃からだったようである。
山口という呼称をなんとなくでも東今泉の中で一番早く知った要因は、多分実家の畑が現在団地となっている一画にあって、その畑には山口地区を通って行くので、親の話し言葉の中に山口という言い方がが使われ、それを聞いたりしていて自然と山口を覚えたのだろうかと思ったりもしているのである。
山口を通りその畑(畑名は裏山と呼んでいた)へ行く時は途中にあるお地蔵様(今もある)をいつも見ながら畑に行ったもんである(畑には行ったとしても野良仕事の手伝いは余り真剣にした事はなかったと自信をもって言える)。そして昭和32年頃に三橋美智也のヒット曲の「おさげと花と地蔵さんと」が時折ラジオから流れてくると当時小学4年生だった幼い俺の頭の中に山口の「お地蔵様」への愛着を感じ、お地蔵さんをとても愛おしい気持ちに染め上げてくれたものだった。
山口のお地蔵さんをそんな子供心で抱いた素朴な感情は心の奥底に潜在しているのか今になってもこの「おさげと花と地蔵さんと」をラジオ、テレビ、或いは動画サイトなどで聞くと、あの山口の「お地蔵様」を見ながら遊んでいた頃の風景や小高い傾斜する裏山の畑から見下ろした今泉の景色が眼前に浮かべ上がり、その時見た風景の中に今は亡き自分の親世代の人たちの元気な姿もいっぱい目の中に映っていたはずだったんだろうなぁと、とか…………。 あの頃の時代のいくつもの情景やいくつもの思い出などが絡み合い交錯しながら醸し出すかのような匂いや色の中に返す山彦の声に乗車してあの頃がやってくるかのような心へと変貌し、あの頃の空や風も、朝から夕方まで灯してくれた太陽の明るさも、一日を刻んでくれてた毎日の時間も、この世のどこかに現存しててくれ~!、必ずや何処かで生きていてくれ~!……と、そんな事を包含しながら色々な懐かしさへの郷愁が身に迫って来るのである。そんな思いへと繋げてくれる「山口とそこに居てくれるお地蔵様」である。

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