子供の頃、
近所の幼友だち等と山遊びによく行った裏山から中山方向を見るとき、決まって気になり、なんとなく眺めてしまうのが鳥を飼っていた家方向だった。子供心にそこの家の近くまで行って鳥を見てみたいといつも思っていたもんだった。
でも裏山からはその家の方を見てるものの、鳥を飼っている家までは、子供の俺にとっては、ここ裏山からはかなり離れているような遠く感じたりして結局は見に行くこともなく時は過ぎてしまいました。あの頃からもう55年~60年近くの歳月流れてしまっているのに
そんな光景が昨日のように浮かんで来るのである。
東今泉の中では高速道路が一番近くに見える地区であり、大きな総合病院もあり、東今泉の中では人や自動車の出入りがダントツに多く、東今泉一番の賑わしさがある地区ではないかなと思っています。
今、ここにある大きな総合病院があるところは、俺が二十歳前後頃はヘルスセンターがあって新年会、忘年会はじめいろんな催しをする場として活況を呈していたのでありました。
それから後にここヘルスセンターが閉館した直後頃一部の部屋を改装したのか、元々あったのか
ダンスレッスン教室をやってるのを知り、一週間に一度のレッスン日には一生懸命に通ったものだった。現在はダンスジャンルの多様化でブレイキングダンス、ヒップポップダンス、ジャズダンス、エアロビクスダンスなどなどいろんな呼び方で多様種がある時代になってるが、当時はダンスをやるといえば社交ダンスのことを指していたのが普通の頃である。恰好良くビシッと踊れたら何か良いこと起きるんじゃないかなと夢と希望に向かって励んだけど、やはりダンスの才能もセンスも無いせいかタンゴ、ワルツ、ルンバ、チャチャチャ他、などなどどれをやっても恰好よく踊れてない・踊れない自分を気づきながらも半年くらいは続け、その頃にこのダンス教室も閉館となってしまい、気分は尻切れトンボみたいなスッキリしないので市内の他のダンス教室へ暫く通ってみたもののどうやっても上達なし、結局は俺にはダンスセンスないんだと納得し、もういいやと諦め付けてダンス教室
でのレッスンは終了とした。23,24歳の頃だったけな。
希望敗れて・夢敗れても、それでもこの地区にあったダンス教室のお陰のせいか、テレビ、ラジオから流れてくるタンゴ、ワルツやラテン系のルンバやチャチャチャなどのメロディーに乗って踊る姿は品良く・恰好良く、そして華麗さとロマンチックの溢れんばかりの雰囲気に覆われて踊る自分の姿を想像するイメージ(想像世界は実際は踊れなくてもどんなジャンルのダンスも出来ちゃうので有難い)を築いたりしてしまったりの一時(いっとき)の時間の中は、カッコいいダンス姿の自分に酔いしれてみちゃったりして、そんな仮想時間を空想出来るってことは結構楽しくなるもんで、そんな時は頭の中を心地良い気分がなんか楽しい夢を伴なってくれながら流れるのである。そんなバーチャール(仮想)に踊る楽しい時をいつでも好きな時に一人勝手にイメージしちゃったり出来るのも、「中山地区」にあったダンス教室のお陰であり、ダンス教室との遭遇を奇跡と思い続けて何十年なのです。この奇跡が心安らぐメロディーを与え続けてくれているような気がしてならないのである。
また、近くには菅ノ沢遺跡があり、この遺跡が活発に活動していた時代の人々の日常の生活を想像するとなんだかワクワク感が生じて楽しく元気になってくるようである。
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