堀や盛り土による垣がめぐらされていた館があったところなので堀之内と命名された起源になってるのかな思ったりもするのであるが。
小学生の頃は凄く遠方に感じていた。「入口地域」が凄く遠く感じていたくらいだったから、もっと先にある地域だけに「入口」の比では無いほどの遠方さを感じていたものであった。それでも自分と年齢が余りかけ離れていない前後の男の先輩後輩に関してはみんな名前はいつの間にか自然と覚えていたもんだった。なんか元気のいいのが一杯いるような気がしていた。
中学頃までは遠方感覚は変わらずだったように記憶しているが、高校生頃になると一気に遠方感覚は薄らいで、近い所と思えるようになって来た。
金山方面や呑竜様や大門のところにあったオモチャ屋などへ行く時は、永福寺のところを通り東金井に出て、それから十八曲がりの坂を上り、金山山頂経由で呑竜様方面へ行くのが定番であって、入口から堀之内を通る旧道(太田順道)を歩いて東金井に出て、金山へ向かうというコースにした事は全くなかっただけに、堀之内辺りで遊んだ思い出は少ないんだが、この辺りの男の先輩後輩等の名前をみんな覚えていたくらいなので実際には結構遊んだりしてた時期もあったのを忘れちゃってるんかもしれない。
Aさんちの庭にいくつもの池があり、どんな魚がいるのか興味深く眺めたり、その池の辺で遊んだりした日の事なども良く覚えてる。もちろん堀之内という隣組名はその頃は全く知らずも、なになにちゃんちの方でとかの言い方で会話は成立出来、隣組名の堀之内を知ったのは、子供の頃からずっとず~っとさらにず~っと年齢が高くなった頃である。
◆中山地区◆
◆山口地区◆◆団地地区◆
◆辻口西地区◆◆辻口東地区◆◆入口地区◆
◆今泉口地区◆◆社宅地区◆◆大門西地区◆◆大門東地区◆◆大門表地区◆