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お鎮守さま(鹿島宮)より金山山頂を望む。

東今泉辻口西

小高い地にある神社が西方に見える

東今泉辻口西地区は、神社(鹿島宮)のおおよそ東側・北東側に位置し、結構近くに見える神社を目に入れ易いので、無意識感覚でありながらも、ふと頭の中は神社をなんとなく思う雑多が浮かんでだりする場合が東今泉の他の隣組よりほんの少し多い地区かなと思うときがあるのだが。でも少し思うか思わないかとか、そんな事はどうでも良い事と分かりつつも自分だけが多分勝手にそう思ったりしてるだけかも知れないと承知しながらもそう思うのである。

東今泉を流れ下る思い出いっぱいの川

ここ辻口西の凡そ中央あたりに川が通り、この川を挟んで西側と東側で隣組である辻口西を形成している。隣組という小さな土地の辻口西の中をくぐり抜け流れる水たちの手を振る姿や、笑顔でささやき呼びかけてくれる声に、遠い日に何処にでも一杯あったような純朴な空気の訪れが来て居るような面影を発してくれるこの川、この川面。あぁ田舎の風景なんだなぁ、故郷の風景なんだなぁ、童謡・唱歌の歌が何処からともなく降り注いで来るようだよなぁとか諸々の感慨が派生して来る良い感じの風情を醸し出してくれてる川であり、水の流れの様(さま)なのである。小学生の頃のこの川で遊んだ思い出を甦らせようとすれば、限(きり)が無いほどに川と戯れた昔日の思い出の光景を満載した列車が次から次へと押し寄せて来るほどまでの勢いで懐かしい情景を運んで来てくれるのである。
あの日の水浴び、あの日の魚釣り、あの時のけい狩り、あの日の筌(うけ)での魚捕り、あの日の鉱毒水の訪れ、ゴムスクリューおもちゃ船を浮かべ走らせはしゃいだ日のことなどなど、次から次へと川で遊んだ情景が浮かんで来る遠い日々の川の思い出。あれらの日々確かにあったのに今思えば夢か幻かと思いつつも、一日一日下り辿って行けばあの夢中で楽しかったその日に必ず辿りつけるのにと思えども、現実は叶えられぬ切なさに時の刻みの非情を感じてならないのである。
三面コンクリートで施されてない、自然に生え生い茂る背丈のそんなにも高くも低くもない草木や笹竹などが入り交じる繁茂のがっさかぶがどこまでもず~っと連なる川岸を、揺れて流れ下る水面に映る坊主頭の素朴なガキらしい自分の姿を映してくれてたあの時の川の水の流れは今いずこにと郷愁を掻き立てられる。過ぎし日のあんな事こんな事のいろんな郷愁を生んでくれてるこの川の水路の位置も変わることなく永遠に東今泉辻口西のこの地を通り流れ続く事を祈り願うばかりである。

春の風物詩と感じてた辻口西の花見会

東今泉の辻口西では花見会と称した親睦会を昭和54年から平成26年までの35年間一回も欠かさず、寒さ和らぎ、心和む花の色彩益々増して心浮き立ち始める4月後半から5月前半頃、その年の隣組長が幹事となり宴会場を毎年決めて、開催して来た。
35年という期間を何気無くでなく、ちょっと落ち着いて考えてみた時、昭和54年から逆算した場合昭和19年であり、世は太平洋戦争下にあり、俺はこの世に生まれても無く、この何年ヶ後に産まれるべき保障も100%も無い頃なのである。或いは幸いにこの世に生を受け、初々しく青春を謳歌していた25歳の齢の人等も 日々重ね続ける35年の時の刻みを通過して行く過程の中でいろんな喜怒哀楽の人生体験を浴びながら気が付けばいつの間にか 還暦に突入してしまってるほどの長き歳月なのである35年間は。
自分自身を振り返って見ても35年は大変化である。俺はこの東今泉の隣組の辻口西に引っ越しして来て隣組の世帯主の一員にさせて頂き花見会に出席デビューした時は、外見上まだ青春があちこちに色濃く点在していたみたいな31歳だったのに35年経って生気(せいき)薄れるばかりの方向へどんどん進んでいるかのような66歳(この文章を書いている時の年齢は悲しいかな68歳になってて生気消失さらに進化し続けてる。)の冴えない風采風貌へとどんどん化し高まるばかりとなってしまってるのである。
この35年の間一回も欠かすことなく35回の春の訪れを囲みながら、毎年毎年笑顔と笑い声織り成す中での隣組花見会を35年間継続していた事が終焉してみて、それぞれの年の花見会のあの時・その時が胸の中へ駆け巡る思い出が襲来するのである。隣組の人たちの笑顔や声がすぐ隣りで、前で、後ろで、横にもと、そんな談笑に盛り上がる賑やかな雰囲気が眼の前に浮かび、心の中に沈積している懐かしくも、嬉しくも、切なくも、と、花見会の事象のその時へ帰りたさ激しく募る花見会の光景に、涙腺緩むほどに心に溶け込んでくれている花見会の情景は自分史の歴史を形成してくれてる玉手箱の一つだと、そう感じてならないの である。
世間的にみればそれはたった12~13軒くらいの隣組のなあ~んて事ない小さな出来事ではあるが、隣り近所の人たちとの友好の輪を築いていた貴重な時間の過ぎし日のその時・その瞬間等を辻口西の歴史的年誌とで銘打ってこの事象を永遠消え失せないように記し留めて置きたいくらいである。但しそんな能は自分には何も無いくせにそう思う心情にはなって来るのほどに懐かしく思えて来るのである。
この長きに亘って楽しんできた親睦会も隣組の皆さん全体の高齢化などもあり、皆さん各自惜しみながらも平成26年の4月の花見会が残念ながら最後となった。物事には初めがあり、いつしか必ずや終わりがあるみたいで、これは世の常らしく、その世の常が平成26年4月だったということである。人間、心変わりするのが当たり前というか、物事をず~ッと継続し続けるエネルギーを保つのは実に大変であるのに、ここ辻口西の人たちの春の快いのどかな陽気の招来を喜び祝うかの心が一体となり、この花見親睦会を35年間の長い間継続して来た事を実に素晴らしく凄い事であると、終わってみて今はそう感じ、あの懐かしい時間に戻りたい時の儚さみたいな切なさを抱(いだ)きながら、心の奥底に貴重な和気藹々の思い出を人生終わるまで脳裏に、胸の中にと保護保管し続けていきたいと思うのである。 。

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