今泉口に来て見る金山のズームされたように拡大される近距離での山頂の景観を
郷土愛をオーバーに絡めての形容をすれば、日本一の名山と賛美したくなるほどの美景の様相幾重も重ね併せ、眼前に聳え立つ雄姿に拍手喝采したくなる気分へと繋げてくれるここ今泉口辺りの醸し出す光景に、空も樹木深き緑の中を通り抜く風もなんと快いことか。
今泉口あたりは子供の頃はなんて遠いところなんだと思ったりしてはいたものの、結構この辺は子供の俺の遊びの行動範囲だったようで懐かしい思い出に繫がっている。その第一位はなんといってもメジロ捕りである。
10月に入って間もない頃から11月が終わる頃の日曜日はよくメジロ捕りに山へ行ったもんでした。メジロ捕りをするようになった最初の小学3年頃からは兄貴について行ったりしていたが、5年生か6年生位になってからは隣りん家の一学年下の●●●ちゃんとよく行ったもんでした。朝明るくなる前の4時半前頃には家を出発。●●●ちゃんも俺もメジロの入っている各々の「オトリかご」を大事に丁寧に風呂敷で覆って手に持ち、他にメジロを生け捕りする為の「モチ」やメジロを「オトリかご」のところに呼び引き寄せる効果を期待してカラスウリ、アケビや赤い木の実を付けたままの切り小枝なども大事に持ってメジロが捕れそうな場所がある暗闇の山の中へ入って行き、山の中の坂道の生い茂るがっさかぶだらけの大小の草木を掻き分けながらまだ充分暗い山の中の我々だけが知っている目的地を目指し、小学生の二人がメジロ捕りの楽しさに惹かれ歩くのです。
こういうことを中学3年まで秋が来るとやっていたのです。今になって思うと時刻は明け方へ向かっていても、まだまだ暗さ一面で覆われてる山の中へよくも入って行けたもんだったなと不思議になります。その後メジロ捕りをしなくなった頃に思うようになり、今この歳になっても思うけど、もはや俺はあの頃の度胸は微塵もなく、とてもこんな暗い時刻に山の中へは怖くて気味が悪くて絶対に行けないと。自分のことでありながらよくも真っ暗な山の中へ入って行けたもんだと本当に感心する。
メジロ捕りの場所は金山の東面の中位置より少し下の位置辺りの北方面でそこへ行くためには、ここ今泉口にある山へのスタート入口から山の中へ入っていくのである。
外界はしっかりと暗く、家を出てから神社と永福寺に挟まれてる坂道を歩き、永福寺の墓場のすぐ近くを通り、さらにどんどん歩いて行くと今泉口の小さな池に出くわし、その池のところを左に曲がり、南方向へ歩き、間もなく行くと崖みたいな感じの小さな急坂があって、それを一走りに上り、暗闇の山の中へ入るのである。
今泉口にある山への入り口へ向かう途中の辺り一帯は現在は社宅や公園(兼グラウンド)等が出来てて清々しく明るい生活環境になっているが、当時は街灯など設置することなど時代的に考えるすべもなく、東今泉内で設置されてあった所を見たことは無く、勿論この辺り一帯当たり前のように街灯など無くただ暗く、神社のすぐ西側から山であり、今ある公園(兼グラウンド)も社宅のところ一帯もすべて山であり、神社と永福寺に挟まれた坂道は単なる山道みたいなもんで当然舗装なんかされてるはずもないし、山から滲み流れ出る水が一因してるか、坂道は大概水気があってぬかってる時多く、道幅も狭く、道の左側右側は背丈ある草が多数生い茂るがさっかぶだらけであり、西方面の山に向かう右方向一帯は小高い山が西方向へずっと連なっててそこに深く生い茂る草木の奥の方に何か居るような怖さの気分を誘発しないようにと、なるたけ目を向けないようにしたり、さらに永福寺の墓場もなるたけ目を向けないようにしたり、神社もあったりで何となく怖いから一所懸命歩いたもんだった。一所懸命に歩いてる途中に、この辺り一帯何処からともなく聞こえてくる音に鳥の動きかそれとも何かの動きか時々聞こえる暗闇の中からガサガサッという不気味な音に気分は緊張感高まるばかりとなったりで、今泉口へ向かう道すがらは何となくおっかない
ひんやり感が澱んでいるようで、周囲に
限りなくある樹木の鬱そうとした暗闇の中の静寂感と時折の騒々しい音が、暗い夜道を歩く小学生の我々二人の気持ちの中にふと何かが出て来るような気持ちが思い立っちゃうと後ろを振り返る勇気が消失して、自然と早歩きと小走りになり、目指すは、まずは今泉口の山への入り口辺りへと一目散に向かいました。こんな気持ちにたびたびなりながらもメジロ捕りの面白さを後々何年も続けたものでした。
メジロ捕りを思い出すと、山の中へ入る辺りの今泉口の当時の風景が必ず一緒に浮かんでくるのである。
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